どうしても間違えてしまう(豊島)
こんばんは。皆様はこの週末をどうお過ごしですか?私はこの土日はたまたま仕事も休みだったので、おとなしく家に引きこもっています。今日は朝から動物の森(いまだにやっている)→テレビ→編み物→本→どうぶつの森→テレビ→編み物→本をひたすら繰り返しております。ほぼずっと床に着地した状態で過ごしている…。この時間を使ってすすめられそうな仕事があることはわかっているんですが、私は時間があればあるほど何も進まなくなるタイプのようです…。これはうちの母も昔から言っていたので、完全なる遺伝です。
そして明日は大雪かもしれないそう…まじかよ…。皆様、本当にお体に気を付けて、元気でお過ごしくださいね。
今読んでいる向田邦子さんの「父の詫び状」というエッセイがとても面白いです。良い本は心がやわらぎますね。
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加藤さんの牛タン…肉厚…良いお肉であることが推測されます。なんだか最近私もストレス解消で食にお金を投入してしまいがちです。とはいえもとが貧乏性なので、いつもよりちょっと高いチョコ買っちゃう、とかその程度ですけども。バーンとうまい肉食べたいな!
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さて、今回のお題は「どうしても間違えてしまう」とのこと。先週のお題「言い間違い」に続き間違いシリーズ…。だけど似たお題でも全然違うものが出てくるもんですね。
ちなみに加藤さんに指摘された「ゴゴイチ」は完全にノーマークでした…!
二つのものが混ざってしまう話を書きながら、リアルに二つのカレー屋を混ぜてしまった…。ハハハ…。
それでは今週もお楽しみいただければ幸いです。
「どうしても間違えてしまう」
これまでの人生で、SNSを除いて最も多く利用したサイトは、多分間違いなく「乗換案内」だと思う。私たちの世代で電車に乗るときに時刻表を使っている人って、もうあんまりいないのではないか。もちろん、数駅先までちょっとでかけるときなんかは、手元に時刻表があればそれをパッと見たほうが早いこともあるかもしれない。だけど駅でペラ一枚の時刻表を貰ってきても大抵なくしてしまうから、私はどこへいくにも乗換案内、中でもずっとむかしからなぜか「駅探」のサイトを利用している。
そして何か生活に大きな変化があったとき、自分の日々の行先がこれまでと変わったとき、変わった、ということを一番感じさせられるのがこの「駅探」である。
それを一番はじめに感じたのは高校から大学へ進学したときである。
毎日電車を調べるために駅探をたちあげるのだが、どうしても毎回行先欄に高校の最寄り駅である「国立」と入力してしまうのである。
そして入力してから、私の行先はもう国立でないことに気付かされる。国立に通っていた日常はもう過去の時間で、私が今向かうべきは全く別の「湘南台」という街なのだ。軽率な私はこの間違いを毎日毎日繰り返す。
そして新しい場所が自分の生活になじんできたころ、自分の指が自動的に「湘南台」を入力するようになる。こうして「駅探」によって生活の変化に思いをはせる日々は終わりを告げるのだ。
この現象は私の行先が「湘南台」から就職先の会社があった「新宿」になったときにも、会社を辞め、「新宿」から通い始めた演劇養成所があった「信濃町」に変わったときにも起こった。どうしても、私の指はすぐに切り替えて新しい行先を入力してはくれない。
そして現在最大の難関として私の前に立ちはだかっているのは、行先ではなくて出発駅の入力である。おととしの11月、ずっと暮らしていた実家を出て一人暮らしをはじめたので最寄り駅が変わったのである。とはいえもう1年以上の月日がたっている。毎日毎日私は今のアパートの最寄り駅を出発駅の欄に入力している。
それでも長年の習性は強固だ。いまだに私はかなりの頻度で実家の最寄り駅を入力してしまう。
これはいつまで続くんだろうか?生活としては、一人暮らしにはすっかり慣れたように思っていたけれど、街としては、やっぱりまだまだ育った街になじみがあるのだろうか?
私の指が、何も考えずに正しい駅名を入力するようになったら、ついに今住んでいるところが「わたしの街」になるような気もする。
そのときが来ることを思うと、楽しみのような、だけど、ちょっと寂しいような気持ちにもなったのであった。(終)
東京を出て実家へ帰るという友人が、大量の本から好きなものを持って行って良いというのでたくさん貰って帰りました。向田邦子さんの本もそのうちの一冊です。他も読むの楽しみ。
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