連続ブログ小説一気読みページ

※このページは2021年2月から開始した、豊島による連続ブログ小説企画のまとめページです。毎回加藤さんより投げられたお題をもとに即興的に書いてきた小説をまとめています。(更新するごとに末尾に付け足していきます。)

実験的にやってみている企画なので、その軌跡としてお楽しみください。また改行だったり段落のルールがよくわからないのでその点おおらかに読んでください…(誰かアドバイスください)


【1】

 接線のことを考えている。数学で習った接線。円があって、そこに棒がくっついているやつ。見た目、結構べちゃってくっついている感じなんだけど、めちゃめちゃ拡大してみていくと、実際には円と線が接触しているところは点になっているらしい。で、これを接点って言うらしい。

 初めて聞いた時、マジかよ!って思った。だって教科書とかプリントとかに印刷されてるサイズだと、絶対その辺りは黒く潰れてて、小さな点以外の部分が円に触っていないなんてとてもじゃないけど思えない。だから私は、もっともっと拡大してみたかった。大きくして大きくして、さらに大きくして、くっついている部分が本当に点だってことを確認したいなって思った。

 ところで点の概念ってなんなんだろう?拡大していったら、接点はどこまで小さくなり続けるんだろう?最終的には、どこまで拡大して、どこまで点が小さくなったら「なるほどこれは確かに点ですね」って結論を出せるの?

 自分の頭の中で、接線と円の接触面をどんどんどんどん拡大していって、行けるところまでいってみよう。そう思って、思って思って頑張ったんだけど、私の想像力と集中力は30秒くらいで限界を迎えたのであった。あと、ちょっと病みそうな気がしたので自分の中のやめとこうセンサーが作動したのかもしれない。


 で。私は部屋を出たんだ。


 ドアを閉め、鍵を閉め、ふと振り返った私は言葉を失った。いや、一人だし元々別にしゃべってなかったけど、とにかく脳内に延々繰り出されるおしゃべりがストップした。

 アパートは丘の上にあって、見下ろすと街がずっと広がってて、そのまた向こうの遠―くのほうには夕日が沈んでいく山並みが見えるわけだけど。その山の斜面になぜか…。

 

 なぜかとてつもなくどでかい銀色の球がドカっと乗っていたのであった。


【2】

 私は自転車に乗って街を走り回っていました。


 マンテンスーパーからTORIMOTO、ビックパワーからスーパーマルノ。卵の最安値、豚肉の最安値、キャベツの最安値、お豆腐の最安値・・・。

 これはもはや戦いです。負けられない戦いなのです。


「必ずベストを尽くす」


 私は自分のできる限り、最もお得にお買い物をしなければならないのです。

 節約?いやいや。私の衝動をそんな簡単に意味づけしないでください。自分でも、なんでこれをしているかわからない。でもやる。どうしても、やるのです。

 時刻は10時35分。マンテンとTORIMOTOですでに卵1パック110円、豚肉353グラム322円は捕獲済みです。次はビック。ビックは野菜の日。今日の目玉はキャベツ67円。

 しかし全く、そんな時に限って道がやたらと混んでいる。

 ビックの野菜は、遅れるとなくなることがある。あぁ、こんなことなら遠回りを我慢して、一番最初に行くべきだった。最近人が少なくて、日々移動時間の最高記録を叩き出していたから、すっかり気を緩めてしまったのです。


「わたし、ベストを尽くせてない!」


 自分の力のなさに打ちひしがれました。…だけどいやいや。諦めちゃダメ。この戦いは結果が全て。まだある。まだあると信じよう。


 リンリンリンリンリンリンリンリン!


 わたしは、自転車のベルを鳴らしまくりました。そしたらくまよけの鈴みたいな感じで歩行者がさーっと道をあけて行きました。まるでモーゼの十戒だ!


 リンリンリンリンリンリン・・・キキー!赤信号!


 あぁ、こんな時に限って赤信号!悔しくて、ハンドルを持つ手に力が入ります。すると信号待ちをしているわたしの隣に二人の女子高生が立ち止まりました。二人は、すぐ隣に話し相手がいるのに、どう考えても必要な3倍ぐらいの音量で話し始めました。


「え何これ!!!やばくない?でか!!!」

「えやばいんだけど!(笑)え怖い怖い!フジテレビじゃん(笑)」

「ウケる(笑)」


 二人はスマホを見ながらキャーキャー騒いでおりました。

 うるさい!と叫び出しそうな衝動を抑えて、目を瞑り、キャベツのことだけを考えます。

わたしの集中を乱さないで!!!


 横断歩道のメロディー音。目をカッと開き、わたしはペダルを踏み込みました。意地でも、何がなんでも、絶対にキャベツを手に入れてみせる!


【3】

 キキー!!!

 

 いつもの駐輪場で思い切りブレーキをかける私。時刻は10時48分。あぁ・・・なんてこと!開店から48分も過ぎてしまった。ビッグは開店から45分立つと特売品がほとんど無くなってしまうのです。

 でも、あれ・・・?いつもギュウギュウの駐輪場に自転車がほとんどない。まぁこんなに遅く来たことないからな・・・。もしや、キャベツはとっくに売り切れていて、特売品目当てのお客は帰ってしまっているのかしら・・・。

 とにかく、僅かな望みをかけ、私は店内に駆け込みました。

 耳を澄ますと、心躍る威勢の良い声が聞こえてきます。


「あーキャァベェツ〜ロクシッチィ〜今日の目玉はキャァベェツ〜ロクシッチイ〜」


 緑のエプロンにあかいハッピを着た、黒縁メガネの男性による独特のしわがれ声。この癖が強すぎる節回しには、もはや異常なこだわりを感じているわけですが、それはそうとこの声が聞こえるということはまだ特売品があるということ!

 私は声を頼りに、私の中で通称お祭り男と呼んでいるあの店員さんの姿を探します。あと何個あるのか・・・なんとしても、キャベツを奪い取って見せる!

 しかし赤いハッピが見えた時、私はその場で立ちすくんでしまいました。

 私の目に飛び込んできたのは、お祭り男の横で、キャベツが山積みになっているワゴンの姿なのでした。そして周りには、人っこ一人いない。いつも殺気だってワゴンへ押しかけてくる人々の気配は、そこにはないのでした。

 お祭り男はワゴンの隣で、ぽっかりと空いた空間へ、あの癖のありすぎる節回しを繰り返し続けていたのでした・・・。


【4】

 人っこ一人いない店内。山積みになったキャベツのワゴン。そして虚しく響くお祭り男の声・・・。


「あーキャァベェツ〜ロクシッチィ〜今日の目玉はキャァベェツ〜ロクシッチイ〜」


 空を見つめながら独特の身振り手振りでこのフレーズを唱え続ける店員、通称お祭り男の姿に、私は一種の狂気さえ感じました。何か、何かがおかしい。

 ダメダメ、なにを怯んでいるの。私の目的はただ一つ。その日最もお得な商品をなんとしてでも手に入れる、それだけじゃないか。

 ゴクリ、と唾を飲み込んだ私はゆっくりとキャベツの山へと近づきます。


「あーキャァベェツ〜ロクシッチィ〜」ジー・・・ガタン、「今日の目玉はキャァベェツ〜ロクシッチイ〜」ジジジー・・・ガタン・・・


 近づくにつれ、私の耳には奇妙な音が聞こえてきました。そして私は気づきました。お祭り男の独特な身振り手振り、その動きは独特でありながら流れるような身のこなし、手さばきであるはずのもの。しかし今日は、今日の動きは、何かが、おかしい。


「・・・!!!これ、人間じゃない・・・!」


 そう、お祭り男の背中には小さなエンジンが付いていて、機械音と共に彼に言葉を喋らせ、そして彼の手を、足を、動かしていたのです。

 私は恐怖に駆られて走り出しました。もちろん、キャベツをしっかりと、まるでトライしようとするラグビー選手のように小脇に抱えて。

 レジにはいつもの顔ぶれ。レジ打ちの速さだって把握済みの私は、毎朝林田さん=通称「ブラインドタッチの鬼」のレジを探します。でも今日は、全レジがあいている。列が進む速度を心配するまでもないのです。


「林田さん!!!」


 私はなんだか誰かと言葉を交わしたくなって、「お支払いは?」「カードで。」というやりとりしかしたことのない林田さんの名前を呼びます。


「イラッシャイマセ。ショウヒンヲコチラヘ。」


 林田さんは私の小脇に抱えたキャベツに手をのばす。


「キャベツイッテン、ロクジューナナエン。オシハライハ・・・?」

「・・・!!!」

 そう、いつも信じられない速度でレジうちをこなす林田さん、髪の毛をキッと一つ結びにし、愛想笑いひとつせずにストイックに商品とレジに立ち向かい続ける林田さん。そんな彼女もまた、ロボットだったのです・・・。

 私はわけのわからない事態にクラクラしました。しかし同時に、ロボットになったことによって林田さんのレジ打ち速度が落ちていることも強く感じました。


「まだ、ロボットは人類を超えられていない・・・!」


 私の目頭が突然熱くなりました。そして、胸がいっぱいになった私は、意図せずその場でおいおいと咽び泣いていたのでした・・・。


【5】

 トンテンタカトンタカタン・・・トンテンタカトンタカタン・・・

 

 どれくらい経ったのだろうか。30秒、いや10分、もしかして1時間?ドアを開けた瞬間私の目に飛び込んできた、謎の銀色の球体。そこに私の視線は釘付けになっていたのだ。

 何かを買いにコンビニへ行こうと思って部屋を出た気がするんだけど、何を買う予定だったかはもう忘れた。とにかく目にした瞬間から、私の脳内はその球体のことでいっぱいになっていたのだった。

  iphoneが鳴り響いたのはそんな時だった。着信は、もうずっと会っていない私のお姉ちゃん。お姉ちゃんはちょっと変わっていて、滅多にしてこない電話をしてくるとき、大抵いっていることがよくわからない。まともに理解しようとするとすごく長くなることがわかっているので、基本的にはやんわりと受け流すことに決めている。


「ねぇ、やっぱり、ロボットに支配される時代はまだまだ先だった!」

「・・・あ、そうなんだ」

「うん。やっぱり、人、人、人だわ。ふふふ・・・」

「・・・。」

「でもね、スーパーの店員さん、みんなロボットだった」

「え・・・?」

「うん。偽物のロボット。だけどやっぱり、全然勝てないよねぇ」

「何それ怖い」

「怖い。うん。怖いけど、でも勇気湧いた!」

「ちょっとよくわからないけど。」

「大丈夫大丈夫。」

「まぁ、大丈夫ならいっか。」

「うん。じゃ、切るね!」

「え。・・・あ!お姉ちゃん待って!」

「ん?」

「なんか、私今変なもの見てるんだよね」

「変なもの?」

「うん、でっかい、銀色のツルツルした丸いの」

「え?」

「むこーの方の山の斜面にどかっと・・・。かなりでかい」

「・・・へー、銀色でツルツルかぁ・・・それ、綺麗?」

「うん。なんかすごい綺麗。光ってる。お日様が反射してるだけかもだけど・・・ただ、かなり謎。昨日までなかった」

「・・・見てみたい」

こうして、私とお姉ちゃんは6年ぶりに会うことになった。


【6】

 お姉ちゃんは私の5つ年上だ。昔から頭が良くて、運動もできて、そして近所でも評判の美人だった。ただ、同時に、近所でも評判の変人だった。

 例えば毎日の通学。うちの小学校は、私たちの住む家からちょうど10分くらいのところにあったのだが、お姉ちゃんは家から学校までを5分割してポイントを定め、そこをそれぞれちょうど2分きっかりで通過することに全勢力を注いでいた。

 まずは家を出て、公園を抜けた先にある坂道の入り口で2分、坂道を下り切って大通りに到達するまでで4分、大通りをしばらく行ったところにあるポストの前で6分、学校の校門の前で8分、教室に入って、ランドセルを置いて席に座るまでで10分。

 もし万が一途中で時間がずれてしまったら、もう一度家まで戻ってやり直し。これがお姉ちゃんのルール。だから万が一失敗しても遅刻しないように、必ず登校時間の30分前には家を出るのだった。

 これをやり始めたのは、小学4年生の2月。商店街の福引で、時計のついたキーホルダーをもらって、それをランドセルにつけてからだ。お姉ちゃんは小さい頃から時計を見るのが大好きで、家にいる時もテレビなんか目もくれず、ずーっと時計の針をみていた。私には何が楽しいのかさっぱりわからなかったけど、全部が同じ間隔で動き続けているのがたまらなく綺麗って言ってた。それでランドセルに時計がついて、いつでも時計の針をみれるようになって、自分も全部同じ間隔で動いたらいつの日か時計に生まれ変われると思ったらしい。意味は全然わからないけど。

 お姉ちゃんが6年生の頃に私は1年生になったわけで、最初はお母さんの言いつけで一緒に学校に行っていたけれど、靴が脱げたり、おしっこ行きたくなったり、こけたりして私がお姉ちゃんのスケジュールを乱すもんだから、お姉ちゃんがお母さんに抗議して結局別行動になった。お姉ちゃんはこのルールを、中学校を卒業するまで続けていた。流石に高校は電車通学だったからあきらめた。

 他にも、家族で出かけると道端に落ちてるガムを延々と探して数えていたり、桜が舞う季節には30枚の花びらを頭に着地させなきゃ絶対帰らないと言ったり、トイレのドアがバタン!といい音で勢いよく閉まるまで何度も何度も開け閉めしたり、お姉ちゃんは私からすると理解不能なこだわりに包まれながら日々を生きていたのだった。

 生きるの大変じゃない?って一回聞いたことあるけど、目標を達成するたびに喜びが溢れていつも幸せだって言っていた。


 私にとっては宇宙人みたいなお姉ちゃん。お姉ちゃんだったら、あの銀色のツルツルのこと、なんかわかるんじゃないかっていう気がしている。


【7】

「光ってる…」

 

 お姉ちゃんはうちのアパートの廊下で、謎の銀色の球体を真っ直ぐ見つめていた。じーっと。瞬きもせずに。

 お姉ちゃんの目は大きい。そして少しだけ茶色くて、まつ毛が長い。

 私は遠くの球体を見つめ続けるお姉ちゃんの横顔を見ながら、小さい頃、時計を飽きることなく見続けていた子供時代の面影を重ねた。

 歳を重ねてふっくらしていた頬は少しこけたように思うけれど、その綺麗な目は変わっていない。お姉ちゃんは理解不能でほんとわけわかんないけれど、こういう、何かを見つめるときの視線には、昔から胸いっぱいに憧れるような感情を抱くのだ。


「入るよ」

「あ、」


 どうぞ、という間も無くお姉ちゃんはズカズカと私の家に入っていった。部屋の中でキョロキョロと周囲を見渡している。


「あったあった」


 お姉ちゃんがしゃがんで何かを手に取る。私も慌ててそばへ行く。


「マッキー借りるね」


 お姉ちゃんが手に持っていたのは、部屋の隅に飾っていただるま。昔高崎へ行った時に、お母さんが買ってくれたものだ。


「…よし。」

「…え」


 お姉ちゃんは、このタイミングで突如だるまに目玉を入れたのだ。マッキーで。


「え、ど、どういうこと」

「うん。だって、そういうことじゃない」

「・・・」


 ちなみに買ってもらったのは大学4年生の就活中。就職が決まり次第書き込まれる予定だった目玉は結局書き込まれることのないまま今に至っていたわけだが、今日、このタイミングで、だるまは突如目玉を得たのである。


「計画立てるよ。」


 お姉ちゃんは、カバンから私たちの住む町の地図を出し、机に広げた。地図には、几帳面な赤い丸印がたくさん付いていた。


【8】

「23分05秒!やばいすごい!」

「18分02秒!あっはははは」

「36分24秒!まじどうなってんの?」


 私の後ろからは妹の楽しそうな声が聞こえてきます。2時間ほど前まで混雑していた通りには誰もいなくて、車も通っていなくて、響くのは、私が自転車を漕ぐ音。そして妹の笑い声。

 私は今、毎日一人自転車を走らせている道で、妹の重みを感じながら必死でペダルを漕いでいます。

 計画は、日々積み重ねてきた私の自転車走行データをベースに、妹の体重46キロが加わった際私の走行スピードがどの程度落ちるのかを数値化して組み立てられました。町の端から端までに位置しているスーパーを目印に、もちろん到着予定時間は1分単位でスケジューリングされています。

 わたしはどうしてもこの計画をやり遂げたくて、止まるわけにはいかなくて、今、私の全てをかけて、必死に足を動かしています。

 

 小学6年生だったあの日、母に、妹と学校に行きたくないと言ったあの日。あの日の妹の表情は今も鮮明に覚えています。おしっこ行きたいって泣くから、忘れ物するから、転んで遅れるから。小さな妹ができっこないことを、私はどうしても受け入れられなかった。

 わたしは時計になりたくて、学校までの道をきっちり予定通りに歩くことが、その時のわたしの全てだった。あんな目をさせてしまっても、その気持ちを乱されること、その希望を奪われることは我慢ができなかったのです。

 だけど大人になった今なら、毎日自転車を超速で漕いで競輪選手のように太ももが発達した今なら、妹がおしっこを我慢できるようになった今なら、妹を乗せて一緒にやり遂げることができる。いや、何がなんでもやり遂げなくてはいけない。


 体が熱くなってきました。額からは汗が吹き出し、はぁはぁとわたしの呼吸の音がします。だけど妹は楽しそう。わたしが計画通りスーパーの前を通り過ぎるたび、妹はケラケラと笑います。

 さぁ、町の端っこのスーパー。ここから先は、わたしもチラシをチェックしたことがない、未知のスーパーたちが待ち構えるゾーン。


「あ!」

 

 ガシャーン。自転車が何かに引っかかり、わたしと妹は宙に投げ出されました。目をつぶる、痛さを覚悟する、ところが…。


わたしと妹は、大きくて柔らかい何かの上に着地しました。


「葉っぱ…」


 妹がつぶやきました。妹とわたしは、地面を一面覆うシダの葉っぱたちの上に横たわっていました。


「何これ…」


 …そこは、草木が鬱蒼と生い茂る、広大なジャングルだったのです。


【9】

 ちょうど町の境目のところにあるドラッグストア「ヨータロー」は、つるのような緑の葉っぱに覆われてその黄色い壁がほとんど見えなくなっていました。

 郊外代表という風情の私たちの町から一つ、山に近づいたこの町は田んぼが多く、ヨータローを超えるといつもなら一面のんびりした田舎風景が広がります。

 しかし、今ではどこが田んぼだったのか、その輪郭が分からないほどに一面鬱蒼と茂る草・草・木・木。しかも、この辺りではあまりみないような、なんだか植物園の温室のような、一つ一つの葉っぱがとんでもなく大きいような草・草・木・木。


「これあれじゃない?ニュースでやってたやつ」


 妹が言いました。


「なに?」

「え、今テレビでめちゃやってるやん。なんか、外来種の、史上最悪の草がすごい勢いで田んぼとか池覆って農家さん困ってるみたいな。」

「そうなの?」

「うん。ちょっと目を離すとすぐ増えるんだって。なんか増えるワカメみたいな」

「へー。こんな感じなの?」

「いや全然。だってこれジャングルじゃん」

「うん」

「あ!バナナ!!」


 そういって、妹は猿みたいにスルスルスルっと木を登っていきました。

 この子の行動は昔から予測不能、自由。わたしはその伸びやかさを羨ましく思い、たまに少しだけ、悲しくなることがありました。


バキッ!ボトッ。バキッ!ボトッ。


 妹がまだ青いバナナを枝から引きちぎっては地面に放り投げていきます。そのリズムが等間隔で、心地よくて、わたしはうっとりとしてしまいました。


「これ美味しいかな?」


 気づけば妹は目の前にいました。


「なんかさー、アフリカの人がさ、バナナの葉っぱに包んで蒸したりするよね、青いバナナ」

「そうだね。じゃあ、葉っぱも取ってきてよ」

「え?…いいよ!!」


 妹はなんだかとても嬉しそうな目をして言いました。わたしはただ、妹の奏でるリズムをもう一度聴きたい、それだけだったのです。

 わたしは目を閉じて、その時を待ちました。


 ザッザッザ…


 妹が木を登っていく音が聞こえます。


 バキッ ギシッ メリメリッ ギッギッ…


 あれ…?


 ギッ…ドシン!!


 目を開くと、巨大なバナナの皮に覆われた妹が床に倒れていました。


「全然取れなくて、ぶらさがったら取れた!」


 妹はケタケタ笑っています。わたしもなんだかおかしくて、一緒にケタケタ笑ってしまいました。

 それにしても、暑い。自転車を漕いで熱くなった体は、さらに体温が上がって汗がダラダラ流れています。その時です。


「うぉ〜い!何してんだぁ!」


 遠くからおじいさんの声がしたのです。


【10】

「ここはうちの田んぼだから、そのバナナはうちのダァ!」


 そのおじいさんは、カゴいっぱいにバナナや、巨大な芋のようなものや、色とりどりのフルーツを抱えて歩いてきました。


「ごめんなさい!野生なのかと」


 妹はバナナの葉っぱからのそのそ出てきて言いました。


「まぁまぁ、たくさんあるからいいけどもさ。いちンチでこんな取れちゃうんだもん。びっくりダァ」

「え、一日?」

「そうだよぉ。昨日朝起きたらこうなってたんダァ。前の日まで田んぼだったんだから。何が何やらさっぱりダァ。でも取れるもん全部うまいから、しばらくはこれでいいかつって母ちゃんといっててさぁ。」

「これって食べられますか?

妹が青いバナナを地面から拾い上げて言いました。

「こいつは炒めると美味いんだぁ。ニンニクと炒めるとさぁけのつまみに最高!びっくりダァ」

「うわーヨータローでビール買ってこようかな」

「お、お姉ちゃん飲めるのぉ?」

「大好きです」

「あんたたちどっからきたの」

「みどり町から」

「車でか」

「いや、チャリです」

「チャリンコ?そぉりゃ大変ダァ!昼飯食ったか」

「いや、まだです」

「この暑さだもん。食わなきゃ倒れちゃうよぉ。今からうちくっか。バァさんにバナナ炒めてもらおう」

「え、いいんですか!行きます行きます〜」


 大人になっても、やっぱり妹は妹だ。この子といると、計画通りには進まない。けれど私も大人になった。あの頃みたいに、一人っきりで、自分だけのペースで行くのでなく、今日はこの子と歩いてみよう。不思議とそんなふうに、今、感じているのです。


【11】

 ふー、と吐いた煙がもくもく上がってゆく。うー、と唸り声をあげる。

 お腹がいっぱいすぎる。苦しくてたまらない。家の中からはおじいさんの楽しそうな声が聞こえる。

 青いバナナのニンニク炒めはとびっきりにおいしかった。ビールも2缶飲んで、楽しくおしゃべりしてた。

 だけど問題はそこからだった。お姉ちゃんが、田んぼの苗の規則性がいかに美しいかって話をしたらおじいさんが大喜び。二人は一気に打ち解けてしまって、最終的にクボタの田植え機の映像をYOUTUBEで永遠見るという謎の時間が始まったのであった。

 途中から私は完全においてけぼりになってしまって、机いっぱいに並べられたご飯たちをむしゃむしゃ食べた。美味しい美味しい。むしゃむしゃむしゃむしゃ。それをみたおばあさんが喜んで、次から次へと料理を並べる。むしゃむしゃ、むしゃ、しゃ、むしゃ、…。で、いま私はタバコを理由に外に避難してきたのである。


 縁側に腰かけて辺りを見渡すと、本当に自分がどこにいるのかわからなくなる。みたことないような柄の草がその辺一体を覆っていて、昼間なのになんだか薄暗い。上をみると巨大な葉っぱの隙間から辛うじて日の光が差し込んでいる。


「コケッコッココケッコ…」


 ニワトリ小屋から声が聞こえる。暑さにバテて今朝は卵を産まなかったらしい。そりゃバテるよな、かわいそうに。ここはもはやサウナみたいだ。食べすぎた今日の分のカロリーを消費できるかな…。


「コケッココ…コケ…コケ…コケッコッココココココココケー!!!ココココケー!」


 突然、ニワトリが激しく鳴き始めた。え、なにこれ怖すぎる、やばい、どうしよ、とりあえずおじいさんを呼ぼう。縁側に足をかけて窓を開けようとしたその時…。


 ガサガサガサガサ!


 両脇に一羽ずつニワトリを抱えたそいつは、私の背後を横切ったと思いきやあっという間にジャングルの奥に消えていった。そしてそいつが通り過ぎたとき、私の鼻はなぜかメロンパンの香りでいっぱいになった…。


【12】

 あぁメロンパン…バターの良い香り…。満腹だけど、こんなに良いにおいなら、一口かじりたいなぁ…。おばあさんの料理は、美味しいんだけどほぼ全部醤油味だったので、私は口の中に違う味を欲していたのだ。


…違う違う!ニワトリ泥棒!


 私は吸っていたタバコを携帯灰皿に入れて、ジャングルの中へ駆け出した。よっしゃ、腹ごなし!陸上部だったから、走るのには自信がある。

 ニワトリを抱えたあいつの姿はもう見えない。だけど微かに、「コケッココケッ!」と鳴き叫ぶ声が聞こえる。じっとりとしめった草を踏みながら、縦よこ斜めの太い枝をすり抜けながら、声を頼りにずんずん進む。

 不思議だ。さっきまで動けないほど苦しかった体は軽い。私はググッとスピードを上げて、地面から斜めに空へと向かって伸びていく木の幹を駆け上がった。そして隣の木へ、そのまた次の木の枝へ。猿のようにぴょんぴょんと木々を渡りながら軽い体を走らせる。すごい、ジャンプ力もこんなにあったんだ!


 すると、私の中にいつもの感覚がやってくる。


「あれ?これってもしや」


 私は自分の腕をつねる。…出た。感覚ない。これは夢!


 そうなったらもう自由の国。私は体にふっと力を入れて、思い切り枝を蹴り上げた。私の体は宙に浮いて、生い茂る木々の葉っぱから空へ飛び出して、ビューンと前へ進んでいく。眼下にジャングルが広がり、木たちはブロッコリーみたいだ。

 夢の中で飛ぶ時、体の感覚はいつも一緒。体を硬くして、頭の中で体内の筋肉をコントロールしていく感じ。ちょっとプールの蹴伸びと似てるかも。いつも夢だって気づくととりあえず飛んじゃう。意味もなく。

 やがて広い広いジャングルを抜けると、カラフルな屋根がたくさん見えた。赤や青、緑やショッキングピンクも!そして上空には甘い香りが漂い…。私の口の中にはヨダレがあふれる。ちょっと垂れそうになる。いや嘘。ちょっと垂れました。いやすごく垂れました。垂れたヨダレは私のTシャツをぬらして、ぬらして、いや、こんなにヨダレでる?びしょびしょになってきた。顔も髪の毛も、ズボンも、つまさきまでヨダレが打ちつける、打ちつける…。


「姉ちゃん起きなって!たぁく、よぉくこんな雨ん中寝れんなぁ。飲みすぎたか!」


 頭を上げるとのぞき込むおじいさんの顔。

 私は縁側そばの地面で、雨ざらしになりつつ蹴伸びの姿勢で寝ていたのであった。


【13】

「まじ許せないっすよ!絶対捕まえるっす!」


 中林さんは苦渋の表情でこぶしを机に叩きつけた。

 さっきから同じ下りを5回見ている。デジャブ。話は何も進んでいない。

 昨日今日とこの町ではニワトリ泥棒が多発しているらしく、自分もニワトリを盗まれた中林さんは「若者が動かねば」と自ら対策本部長をかって出たらしい。今回私が犯人の姿を見たということで、話を聞きにおじいさんの家へやってきたというわけだ。


「だって野上さんなんてエサの調合とか工夫して、美味しい卵産むようにって毎日必死にやってたわけじゃないすか。もちろん、ここの爺ちゃんだって、まぁ米農家だけどもう何年も可愛がってきたわけで。それを…!」


 中林さんはまた苦悶に満ちた表情を浮かべこぶしを叩きつけた。中林さんは怒っている。いるけれどもだからどうするって話には一向にならない。中林さんはここに来てからご飯を大盛り3杯食べている。見かねたお姉ちゃんは、事件発生現場を中林さんから聞き出して街の地図に印をつけるという作業をやってあげたが、中林さんはそれをみながら再度「まじ許せないっすよ!絶対捕まえるっす!」とこぶしを打ちつけるのみだった。おじいさんとおばあさんは結構前に寝た。

 盗まれた中林さんのニワトリはピー助と言う名前だそうだ。彼女のミキちゃんと行った夏祭りの屋台でひよこを買って、大人になるまで育て上げた大切な大切なニワトリらしい。


「まぁ、俺とミキちゃんの、子供みたいなもんす…」


 しかしそのミキちゃんはニワトリのとさかの質感が苦手で、ピー助が大人になってからはニワトリ小屋には決して近寄らないらしい。ニワトリを連想させる言葉すらNGになっているという。

 その時、中林さんの携帯がなった。着メロはGLAYの「誘惑」だった。


「あ、もっしーミキちゃん?全然全然、暇してたぁ」


 暇…?お姉ちゃんの眉間にピッと皺が寄ったのが見えた。


「うん。え?メロンパン食べほ?町で配布?何それあちーじゃん…カネタ町かぁ。ちょっと遠いけど、軽トラ出すべ」


 その時、私の脳内にあの時の香りと夢の記憶が蘇った。


「中林さん、メロンパンには卵が必要!」


【14】

ぱんぱんぱんぱん メロンぱんぱぱん ぱーん ぱぱーん

ぱんぱんぱんぱん メロンぱんぱぱん ぱーん ぱぱーん

なぜ なぜー メロンパンパパン あ・み・あ・み

なぜ なぜー マロンモンブラン あ・み・あ・み

らんらんらんらん マロンモンブラン ラーン、ララーン

らんらんらんらん マロンモンブラン ターン タターン

なぜ なぜー チアシード ぷ・ち・ぷ・ち

なぜ なぜー うみ ぶどう ぷ・ち・ぷ・ち


 あぐらをかいたミキさんは軽トラックの荷台の上で遠くを見つめながらずっとこのようなフレーズを口ずさんでいました。

 地面はあまりの暑さにへたった植物たちがそこらじゅうに萎れていて、それらを踏みつけるたびトラックはガタガタと大きく揺れました。

 どうやら山の麓にあるカネタ町では、一度に膨大な量のメロンパンを製造する技術が開発され、メロンパンが食べ放題になったらしい。その噂を確かめるため、私たちは軽トラの荷台に乗りこみ、こんなふうに不定期に襲ってくる振動を全身で受け止めているのです。

 私は工場のベルトコンベアが好きなのでぜひともその機械を見たくて、妹はニワトリ泥棒がメロンパン大量製造と何か関係があるのではと訝しんで、ミキさんは大好きなメロンパンをお腹いっぱい食べたくて、そして運転席の中林さんはミキさんの喜ぶ姿が見たくて。4者4様の思惑を持った私たちは、今一台のトラックに揺られ、少しずつあの町へ、あの町へ。


【15】

 カネタ町に焼きたてメロンパンはありませんでした。

 そこにあったのは、私が一番みたくないもの、私を一番悲しい気持ちにさせるもの。そう、スーパーの特売ワゴンが、空になった、あの姿。

 街の中心にある円形の広場には、今朝まで降っていた雨に濡れた空のワゴンが何十台もあり、お揃いの黄色いトレーナーをきた人々がそれをせっせとふいていました。彼らのトレーナーには、フェルト素材の「K」のマークの大きなアップリケが施されていました。

 空のワゴンを前にして一番焦っているのは中林さんです。ミキさんはこの街についてから一言も発さず、ずーっと斜め下を見続けている。

中林さんはワゴンをふく一人の男性に声をかけました。


「メロンパン、なくなっちゃったんすか?」


 男性は言いました。


「今朝は雨でしたからねぇ、もちろん仕込みは十分してたけど、こればっかりは…いやごめんなさぁい」

「雨とか関係ないっすよ。世の中みんな雨でも働くっしょ」

「いやぁ、焼き場のものたちも晴れた時のために出勤はしてましたよ。でも私たちがどうにかできるもんじゃぁないですからねぇ。ほんと、ごめんなさぁい」

「どういうことっすか…。次の焼き上がりいつっすか」

「あぁでも、だいぶお日様が出てきましたから。日差しが強けりゃ昼過ぎには…。いやいや、ごめんなさぁい」


 なぜか天気にこだわるその男性の話し方に、私は何か聞き覚えのあるような気がしました。「ごめんなさぁい」という、呪文のような、感情がこもっているのかいないのかわからないような言い回し…。というかワゴンを拭く人々、全ての人に、なんだかどこかで会ったことがあるような…。中林さんと男性の会話を聞きながら、私は不思議な気分に包まれていました。


「じゃあ待つんで。その間工場見学的なやつできます?今流行ってるっしょ工場見学」


 中林さんは、なんとかミキさんの機嫌を治そうと必死です。


「いやー、工場ってもんじゃぁないですけどねぇ。まぁ仕込みの作業場を外から見るのは自由ですよ…」


 その時、妹が割り入って言いました。


「すみません。卵ってどこから仕入れているんですか?どっかでニワトリ飼ってるんですか?」

「この町のメロンパンは生みたて卵を使っておりまして、それが自慢でございます。卵は町のはずれにある巨大な養鶏場から仕入れたものを、とったそのまま作業場に持ってきますからねぇ。どこよりも新鮮ですよ」

「じゃあ工場見学の前にその養鶏場見学させてください」


 こうして私たちは、メロンパンが焼き上がるまでの間、養鶏場とメロンパン作業場の見学をすることになりました。しかし私は、男性の「ごめんなさぁい」という響きが頭から離れず、そのことについてぐるぐるぐるぐる考え続けていたのでした。


【16】

 その養鶏場では信じられない数の鶏が飼われていた。

 お姉ちゃんは、コッココッコと鳴く大量の鶏の声の不規則性に気分が悪くなってしまったようで外で待っている。当然トサカNGのミキさんも、姉と一緒だ。

 それにしても、メロンパンに使う卵用にしてはあまりに数が多すぎる…。これがもし全て盗まれてきたものだとすると、とんでもないリスクと労力がかかったはずだ。だけどこれが盗まれたのかどうか、どうすれば確かめられるのだろう?


「ピー助!ピー助!!!」


 中林さんは、入ってすぐのところにいた鶏に泣きながら語りかけている。だけどそれは、この鶏たちが盗まれたものだという証明にはならなかった。なぜなら、昨日の夜中林さんが携帯で見せてくれた写真のピー助と、素人目にみても全然違う鶏に話しかけていたからだ。


「中林さん、本当にそれピー助ですか?ほら、スマホ見ましょう、スマホ」


 中林さんは写真をチェックする。


「あれ?…お前、ピー助じゃない。騙された!目がちょっと似てたから。…あ!いた!!ピー助!ピー助!!!」


 そしてまた別の鶏に語りかける。三度目で私は言うのをやめたのだった。

 その時、向こうから歩いてきていた飼育員のおじさんが中林さんの姿を見つけるや否や慌てた様子で引き返したのを私は見逃さなかった。


「すみません!待ってください」


 私は大声で引き止める。硬直したおじさんの背中。周囲のコケッココケッコという声だけがこだまする。その時、中林さんがすっとんきょうな声をあげた。


「アレェ?野上さんじゃないすかぁ。なんでぇ?」


 野上さん。中林さんの住む町でエサの調合を工夫しながら毎日必死で鶏を育てていた、そしてその手塩にかけて育てた大量の鶏を盗まれた、あの野上さんがそこにいたのである。野上さんは、所在なさそうな様子でとぼとぼ歩いてきた。


「実はさぁ。鶏盗まれたって騒いでたろ?あのあと担当の人がきてさぁ。『これはスカウトです』っつって、こう言うんだよな。手荒なやり方で申し訳ないけど、どうしてもあなたのお力が必要で、先に鶏を連れて行きました、っつって。」

「そんな勝手なこと…野上さんは、それでいいんすか!鶏たちだって、家変わったらストレスになるっしょ」

「それがさぁ、この施設、うちなんかよりよほどいいんだよねぇ。やっぱ金かけてっから。実際見にきてみたら、鶏たちミーンな前よりでかい卵産んでんだよな。元気になっちゃって。あとここだけの話、これが良いんだよな、ここ。あとーふくりこうせいっての?あぁれもすごいんだから。かぁちゃんも喜んじゃって」


 野上さんは、これが良いと言いながら、手をお金の形にしていた。


 「中林くんとこのピー助、あそこで元気にやってるよ?いやいや盗んだのは俺じゃないから。でもピー助に聞いてみ?帰りたがらないゾォきっと。」


 私は、自分勝手な物言いにイライラとしてきた。


「え?じゃあ、普通にここにいる鶏ってどっかから盗んできたやつなんですか?あなたはそれで良いかもしれないけど、ピー助を盗まれた中林さんの気持ちはどうなるんですか?」

「ヤーぁ。それはねぇ、申し訳ないけども。でも、多分そのうち中林くんとこにも担当さんから移住のお誘いが行ったと思うよ?誘われた人たちみんな最終的にはきてっから。もう移住者増加歯止めきかないっつって役所の人もてんてこまいだよ。だから結局、盗まれたって感じじゃなくなっちゃうんだよねぇ。断る理由ないもん、メロンパンでうるおってっから、この街。」


 そんな私たちを尻目に中林さんは野上さんが指さしたピー助に泣きついていた。ピー助はものすごく暴れて、中林さんに触られるのを嫌がっていた。その隣の隣で、本物のピー助はその姿を白い目で見ていたのであった…。


【17】

 「ついた…。」


 フラフラとした足取りで先程の円形広場へ戻ってきた私とミキさんは地面へたりこんでしまいました。

 大量の鶏の鳴き声、その不規則性は私を混乱させ、戸惑わせ、養鶏場に居続けることはできなかったのです。養鶏場の外へ出ると、そこには体中をかきむしるミキさんの姿がありました。ミキさんは中へは決して入らなかったけれども、それでも鶏の鳴き声からトサカの質感を想像してしまったことで、全身に蕁麻疹が出てきているとのことでした。


 こうして私たちは逃げるように養鶏場から離れ、歩き出しました。しかし外へ出ても、鶏たちの声は延々と追いかけてきて、その声が届かなくなるまで、私たちはかなりの距離を歩かねばなりませんでした。

 しかも、外はとてつもなく熱い。とても日本とは思えないほどジメジメ気温が高いのです。だから私たちは、鶏の声が届かなくなっても、やっぱり止まるわけにはいかず、こうして今なぜだかひんやりと涼しい円形の広場へと戻ってきたのでした。

 私たちがへたり混んでいると、先ほどワゴンを拭いていた、大きなKのアップリケが施された黄色いトレーナーを着た男性が近づいてきました。


「お客様ぁ〜あいかがなさいましたぁ〜?」


 黒縁メガネの男性は独特すぎる節回しで言葉を発しました。横ではミキさんが不審感を隠さない表情でその男性を見上げています。


「ごめんなさい、ちょっと歩いてきたらとても暑くて…」

「あ少々、少々お待ちくださいませぇ〜」

 

 その男性は小走りに建物の中へ入っていき、水を持って帰ってきました。


「あいお待たせいたしましたぁ〜」


 ペットボトルを手渡された瞬間、私の体には電流のような衝撃が走りました。癖が強すぎる節回し、黒縁メガネ、しわがれ声…。

 この人…ビッグパワー特売コーナーのお祭り男だ!


「じゃあたくしちょっと交代でございましてぇ、何かあればお気軽にその辺にいるものにお申し付けくださぁ〜い」 

 

 そう言って去っていく後ろ姿を見ながら、私はこの街についたときの不思議な気持ちが解き明かされていくのを感じました。さっきお祭り男と共にワゴンを拭いていた1人はマンテンの品出し担当畑さん、今お祭り男と交代で出てきた女性はTORIMOTOの鮮魚コーナーにいた吉木さん、円形広場をぐるっと取り囲む色とりどりの屋根をした建物の中ではそれぞれ、各種スーパーで特売の時間を支えていたカリスマ店員たちが粉をふるったり、生地を捏ねたり、メロンパンの表面に格子状の模様をつけたりしていたのです。

 あ!あそこでメロンパンのビスケット生地をパン生地に乗せているのはビッグパワーの林田さん!そう、あのレジ打ちの天才、通常ブラインドタッチの鬼です。ビスケット生地のせの鬼と化した林田さんはものすごい速度で生地をのせていき、横にいる模様づけ担当にパン生地を送り込んでいきます。手早い作業の繰り返しによって全く乱れずに刻み続けているそのリズムは養鶏場の混乱から私を救い出し、むしろ体中が喜びで満たされていくのを感じました。

 あちらの部屋ではTORIMOTOで値引シールを超速で貼っていた三島さんが手際よくリズミカルに小麦粉をふるい続けている。あちらの部屋ではマンテンの精肉コーナでマンテン名物の激安ハンバーグをこねていた秋田さんが流石の手捌きでパン生地をこねている。私は各部屋の窓越しに見える匠たちの仕事を、うっとりとした気持ちで眺めていました。


ゴクリ、ゴク、ゴク、ゴクリ、、


「静かに!!!」

「え、なに…だめすか水飲んじゃ…」

「あ…!ごめんなさい、どうぞどうぞ。フフフフフ」


 私は反射的にミキさんにこう言ってしまうほどこの空間、そして各部屋で奏でられるリズムに酔いしれていました。ずっとずっと、ここでこのリズムに浸っていたい。そんなことを感じていたのでした。(続く)


【18】

 クーラーの効いた野上さんのバンで妹と中林さんが広場に戻ってきたとき、私たちはすでに一通りの工場見学を終えたところでした。…と言っても、この町には機械は一切なく、メロンパンの製造は全て手作業。各スーパーから引き抜かれたカリスマ店員たちが、まるで機械のような精密さ・手早さで一つ一つのメロンパンを形作っていたのでした。私たちは円形の広場をぐるっと囲む一つ一つの部屋を窓の外から順番に見学していき(ミキさんは途中で飽きてタバコを吸いに行ってしまいました)私は溢れ出る涙を必死に堪えながら、各セクションごとの、プロフェッショナルとしか言いようのない手捌きを順番に拝ませてもらったのでした。

 「ここは、桃源郷だ」

 と思いました。幼少期から、時計やベルトコンベアー、コンクリートミキサーのブレない規則性に憧れ、機械になれたらどんなに良いかと憧れ続けてきた。だけどその一方で、ロボットなんて足元にも及ばないスーパーのカリスマ店員たちの熟練した手捌きを間近でみ続け、人の力の凄さを身にしみて感じていた。ここには、私が34年間追いかけてきたものが全て詰まっているような気がしたのです。ここなら、私の、夢が叶う…?

 ただ、一つ気がかりなことがありました。どの部屋にも、オーブンが全くない。ぐるっと1周全ての部屋をまわり、メロンパン生地の製造工程は一通り追いかけることができました。しかし肝心の焼く場所がないので、完成したメロンパンを目にすることはできなかったのです。

 その時でした。

 

プォォォォォォォォーーーー!プォォォォォォォォォォォーーー!


 穏やかな町を切り裂くように、突然轟音が響き渡ったのです。

 「アイサァーーー…オス!アイサァーーー…オス!」

 そして町の裏手の森の奥から、不思議な掛け声が聞こえてきました。その声は老若男女、様々な声がより合わさり、大きな大きな響きとなって町中にこだました。また掛け声の後には、ゴゴゴゴと地響きのような音とともに地面が少し振動するのも感じました。

 「え!怖ぇ!なんだこれ!ミキちゃん、ミキちゃーん!大丈夫、俺が絶対守るから」

 そう言って喫煙コーナーにいたミキさんの元に駆け寄り抱きついた中林さんの膝はガクガク揺れています。それを横目に妹は「なになになにやばすぎじゃない!?」と爆笑しています。

 「お姉ちゃん、見に行こうよ!」

 こうなると妹は止められません。

「野上さん、ちょい車出して!」

「はい喜んでぇ!」

 鶏泥棒の件で何故か妹にコッテリ怒られてしまった野上さんは完全に妹の言いなりになっていました。そういうわけで野上さんを運転手に、私たちの車は音のなる方へ走り出したのでした。(続く)


【最終回】

 二人の姉妹と、ひと組のカップル、そして一人の養鶏農家。五人の人間たちは、目の前にそびえ立つ「デパンマ」を唖然とした表情で眺めていた。

 

 そのつややかに美しい体をどっしり山の斜面へうずめた「デパンマ」は完全である。直径25メートルほどの球体は、くすみ一つない銀色で、太陽の光を浴び熱く熱く輝いている。球体の至る所には梯子がかけられ、球体の上では耐熱の防護服をきた人間たちがその表面に所狭しとメロンパン生地を並べている。「デパンマ」は、一説によると1日10万個のメロンパンを焼き上げる能力を持つという。しかしそれを実現するためには後78,000のニワトリと、6,300の人間を集めることが急務である。

 

 我々は人間が見失いがちな働きがい・やりがい・生きがい対策にも抜かりがない。いわゆる福利厚生(絶品のメロンパンは、いつだって満足の行くまで食べ続けることができる)の他、「デパンマ」の周囲では老若男女あらゆる世代の人々が一続きに手を繋いでグルリと大きな円をつくり、声をからしながら叫び続ける。

「アイサァー、オス!アイサァー、オス!」

 厳しい状況下でひたすらメロンパンを並べ、点検し、回収する職人たちを、同程度の身体的負担を引き受けつつ応援しているのだ。その顔は真剣そのものである。涙が出るほど美しい光景を活力に、職人たちは高いモチベーションを保ちながら働き続けることができる。

 この偉大な光景を目にした人間たち。姉妹の姉の方は、もう間も無くこの町の住人になるであろう。あの燃えるような瞳を見ろ。口元はすでに、掛け声と同時に小さく動いているではないか。

 今焼きたてメロンパンを手渡されたカップルも、一口かじれば二度と外へ出るとは言うまい。鶏農家の男は、鶏の調達から飼育まで、既に我が町において欠かせない存在であることは言うまでもない。

 

 だが…。姉妹の妹の方である。さっきからゲラゲラと笑っているが、それは、どうやら嘲笑のようにも見える。さて…。

 

 ここは一人残らず全ての町民が平等に、幸せに暮らす町。

 

 我々は、我々の賛同者を守るため、町民の心の健康を守るため、町の平和を乱す要素は、必ず、排除する。 (終)

 

点と___web

加藤紗希と豊島晴香による創作ユニット[点と]のウェブサイトです。

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