【思文会】その⑫~おでこカチ割れ事件編(後編)(豊島)
10月になりました。ここ数日は日中日差しが強くて気温も高かったですが、それでもやっぱり秋の空気を感じます。サラサラとして、風が吹くとちょっとひんやりとして、とても好きな気候です。
---
前回加藤さんが書いてくれましたが、そんな私は10/1の秋生まれです。加藤さんも同い年で10月生まれなのですが、一足先に30歳になりました。これからの10年、どんな日々になるのかなんだか全く想像がつかないのですが、想像がつかないまま色んなものに出会って、それを楽しんでいけたら良いな~と思っています。
---
さて、前回はおでこがカチ割れないまま終わった思文会その⑫~おでこカチ割れ事件編ですが、その後編をお送りします!是非読んでみてください!!
---
【思い出を文章にする会その⑫~おでこカチ割れ事件編(後編)】
【前回の振り返り】
幼少期、ケガをしてばかりで「生傷の絶えない子」と言われていた私は、ある日兄と一緒に入っていたお風呂で「風呂飛込」遊びを実行することになる。浴槽のフチに立ち、ジャンプしてドボンとお湯に飛び込む遊びである。1度目は無事飛込に成功した私であったが、水しぶきが起きず地味な飛込だったため、兄から「飛び込む瞬間に下を向いてお湯に顔をつけろ」とのダメ出しをうける。当時小1の素直な私は兄のダメ出しを受け入れ、2度目の飛込に挑もうとするが…(前回の記事はコチラ)
「そっか!わかった!」
兄のダメ出しを素直に受け入れた私は、飛び込んだらすぐ下を向くぞ!と覚悟を決めて二度目のチャレンジ。ゆっくりとお風呂のふちにたって、えいっと飛び込み、言われたとおりに首を下方向へまげてお湯へ直行…!
「ゴーーーーーン!」
強い衝撃がはしる。お湯を目指していた私のおでこは何か堅いものに激突。
何が起こったのかよくわからず兄の方をみる私。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
私のおでこをみて顔面蒼白の兄。
「ぎゃあああああ!」
兄の叫び声に驚き叫ぶ私。
「あんたたちどうしたの!!!」
叫び声を聞きつけ飛んでくる母。
そう、お湯に到達する前に堅い浴槽のふちにぶち当たった私のおでこは、その衝撃でパックリと割れ、ぽっかりとその傷口をひろげていたのであった。
だがしかし、私のおでこが割れたのはこれが初めてではない。最初に割れたのは幼稚園のとき。兄とリビングのテーブル周りでグルグルと鬼ごっこをしていた私は、段々増してゆく遠心力に打ち勝てなくなり、カーブで曲がれずにリビングのガラス戸へ向かって直進。頭からガラスをぶち破り、おでこから流血したというわけである。
ただし、その際の傷とは比べ物にならないぐらい、今回の傷はデカかった。
パニックだったので事件後のバタバタはあまり記憶にないが、とっさに抑えたバスタオルが血に染まって真っ赤だったことだけは覚えている。そしてその後ソファーに寝転ばされた私は、天井をみつめながら、「お父さん、お母さん、今までありがとう…」という優しい気持ちに包まれたのであった。なんのアニメの影響なのだろうか。
結局、親が方々に電話をかけてくれた結果私は夜間の緊急外来をやっている病院へ行って深夜に手術を受けることになった。
このとき見た夜の病院の様子はやけに印象に残っていて、闇にぼんやりと浮かびあがる火災報知器のランプの赤や、暗い廊下の奥で一つだけ漏れ出る手術室の灯り、待合室にただようしん、とした空気感など、今でも時たま蘇ってくることがある。
かなりあやふやな情報なので定かではないが、確か私のおでこのパックリを閉じるにあたって10ハリ以上は縫ったんだったと思う。女の子だし顔だから、ということでお医者さんがすごく丁寧にやってくれたらしい。
手術の後はしばらくおでこにでっかいガーゼを貼って、ガーゼをとめるためのネットを頭にかぶって、交通事故にあった子みたいな状態で学校に通っていた。激しい運動は禁止されていたから体育も遊びもできることは限られ、たしか頭も洗えなかった。そんなすごい可哀そうな感じなのに、そうなった原因が風呂の飛込に失敗したことって、今考えると相当にダサい…。
思えば自分の失敗をすぐネタにしてしまう私のこの習性は、小学校時代におでこカチ割れ事件を嬉々として周囲に話していたところに端を発しているような気がしなくもない。
先日私は30になった。いつになったら精神年齢が成長をとげるのか、観察しながら30代も過ごしていきたいと思う(完)
---
先日久々に会った1歳半のおいっこのおなか。風呂飛込を考案した兄の子供です。驚異的に食いしん坊のおいっこは茶碗軽く2杯ぐらい米を食べ、おかずも食べ、更にはデザートまでたべていました。そんだけ食べたらこうなるよね。
0コメント