【思文会】歯ぐきにピーナツを蓄えていた幼少期編(前編)(豊島)
今日は雨が降っていますね。今年の冬は雨や雪があまり降らなかった気がするのですが、ここ最近やたら雨の日が多い気がします。
とここまで書いて行き詰まり、寝っ転がったら、床にコンタクトレンズ(ハード)が転がっていることに気付きました。私はハードと1Dayのソフトを併用しているのですが、ハードをこないだいつ使ったか思い出せないし、もう片方はきちんと保存液につけて保管されていたので何故そこにあるのか意味が分かりませんでした。掃除機ですわなくてよかった。
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前回加藤さんが書いていた『泥濘む』の予告動画、ご覧いただけましたでしょうか?
「熊蜂の飛行」の音楽をつけてみたら無駄に仰々しいミステリーみたいになりましたが、何故か編集した映像の切り替わりと音楽のタイミングが絶妙に合致しており、おもろいから採用!となりました。まだの方いましたら、短いのでぜひ観てくださると嬉しいです。MOVIEページ(コチラ)に上がっています。
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さて、今週は予告通り「思い出を文章にする会~その③歯ぐきにピーナツを蓄えていた幼少期編」をお送りしたいと思います。結局また前後編になってしまいました。ただこのペースでやってるとすぐに書くことがなくなりそうなので、むしろ積極的に分けていこうかと思い始めています。
それでは、是非是非読んでくださると嬉しいです!
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【思い出を文章にする会~その③歯ぐきにピーナツを蓄えていた幼少期編(前編)】
私は食べるのが好きだ。これはもう家柄なのかもしれない。豊島家ではおじいちゃんも父も母も、とにかくよくたべる人を見ると大喜びするタイプの人間で、私も兄もなかなか食いしん坊に育ったように思う。(ただし以前にも書いたが落ち込むと私はすぐ食欲がなくなる。だから食欲は心身が元気かどうかを測る大きなバロメーターだ。)
小さいころからお菓子も大好き。中学生のときには兄の友達が家に遊びに来てリビングでゲームをしている際、台所でむしゃむしゃおやつを食べていたら「…お前の妹、いつもなんか食ってるな」という発言が聞こえてきて若干傷ついた記憶がある。ちなみにこのころ、花の女子中学生だった私が使っていた弁当箱は紳士用の2段弁当箱で、空腹を満たすためそのうち4分の3が白米、というラインナップであった。
そんな私が幼稚園だったか、小学校低学年だったか、記憶は定かではないが時は幼少期までさかのぼる。
小さい頃からいつもお菓子を食べていたい私だったが、うちの母はそこそこしつけが厳しかったのでお菓子はおやつの時間に机に座って食べるものとされ、それ以外の時間や場所でお菓子を食べることは禁じられていた。よく母と一緒に買い物へ行き、帰りにスーパーで買ったお菓子を食べたいとねだる度、毎回「帰るまで我慢しなさい」と阻まれていた記憶がある。(中学の時に関しては、母は仕事に出て不在だったので無法地帯であった)
だから机に母・兄・私の3色のお皿を並べて、ミルクティーをいれて、そこに分配されたお菓子をみんなで食べる3時のおやつは、一日の中でもすごく楽しみな時間だった。
さて、うちの母はキャラメルコーンが大好きだ。今もよく食べているが、当時もキャラメルコーンはおやつの定番メニューであった。そして小さかった私が大のお気に入りだったのは、キャラメルコーンの底に沈んでいて一番最後に姿をあらわす、あの薄皮付きピーナツなのであった。(ちなみに大人になった今はピーナッツではなく圧倒的にコーン派・余談ながら柿ピーに関しては圧倒的に柿派である。柿ピーに関しては完全に酒のつまみという位置づけになり、よりしょっぱいものを求めるからだと思うがコーンはよくわからない)
毎日母と兄と3人で食べてちょっとずつ減っていくキャラメルコーン。残り少なくなってきたときには、ピーナッツが出現する瞬間を今か今かと待ち、その姿がお目見えした瞬間は待ってました!と目を輝かせていた幼い私。
そうやって日常的にキャラメルコーンを食べていた幼少期の私は、ある日とあることを発見する。それは、歯ぐきと上唇の隙間に、キャラメルコーンのピーナッツ(柿ピーのとかよりちょっと小さくて丸っこい)がすっぽりと収められるという事実である。いや、実際のところ完全に収まっていたかはわからない。先日20年以上ぶりにやろうとしたけど大人の私でもちょっと厳しいところがあったので、鼻の下がポコッと出っ張っていた可能性が非常に高い。
しかし、幼少期の私は完璧なるカモフラージュに成功したことを確信し、興奮に打ち震えた。実際、なるべく顔の角度を母からそむけていたせいか、全然ばれなかったのだ。あと、確かギリ喋れていたと思う。たまに気がゆるんでポロリと歯ぐきからピーナツが落下した際には心臓をバクバク言わせながらそそくさと歯ぐきにセッティングしなおしていた記憶がある。
この大発見、何がすごいって、いつでも・どこでも・自分の好きなタイミングでピーナッツを食べることができる、ということである。おやつの時間が終わっても、歯ぐきの定位置に大切にピーナツをセッティングし、小腹がへったタイミングでポトリとおとしてかみしめると、まるで今口に入れたようにピーナツの香りが口の中に広がるのだ。ポケッタブルおやつ。ポケッタブルピーナツ。万歳!これはテーブル以外でお菓子を食べることを禁じられていた幼少期の私にとっては一つの革命なのであって、大きな勝利を手にした気分であった。
この世紀の大発見をした日から、私はキャラメルコーンのピーナツが出る度にその場では食べず、歯ぐきにピーナツを蓄えた状態でおやつの時間を終えた。ピーナツを隠しながら、何食わぬ顔で母の側を通り抜けるスリルにも私は酔いしれた。そして長い戦いに勝利し、母の目の届かないところでピーナツをかみしめる喜びといったら!
幼少期の私は6歳(ぐらい)にして初めて悪事を働く快感を知ってしまったのであった。
しかし、栄光の時というのはたいてい長くは続かない。無敵かと思えた6歳(ぐらい)児のピーナツ作戦は、あることをきっかけにあっけなく幕を閉じることになるのだった…。(続く)
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